「主祭神」天照皇大神、配神素盞雄命、造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)
下野国栃木の鎮護の神として斉き奉らる。当社は勧請の因記詳ならずも中興改築の棟礼に、応永十壬寅年(第百代後小松天皇の御宇)九月十六日正遷宮、天照皇大神、祇園牛頭天皇とあり。応永の頃は皆川紀伊守の所領にして、同家は藤原氏の系統なるにより其の最も尊崇する素盞鳴雄命を相殿に祭祀せるものなるべし。爾来近郷榎本城の支配を受けしが、天正年間豊臣秀吉小田原城征伐の挙あるや、時の城主榎本藤四郎は北条氏に属せしめた宗家小山氏(現在の小山市)の居城小山城落城と共に榎本城も没落せりと旧記に見ゆ、又大字栃木城内に皆川広照公の支城ありて神明宿なる小字あり、是当社の旧地なりしを天正十七已午年正月十六日現地に奉遷宮されたるものなり。徳川氏天下に覇たるに及び、或は代官領となり、或は知行所となり幾多星霜を経て、御祭事は町奉行之を掌りて、社家之を執行し来たれり、当社は明治五年に県社に列せられ、奉告は時の栃木県令鍋島幹之を行う。同六年境内に於ける禁制の高札を下賜せらる。これ実に県下初めてのことである。〔御神徳〕=全国神社の本宗として仰がれる伊勢皇大神宮の内宮に奉斉され申すまでもなく太陽のごとく私共の上に恵みの光を投げかけ、かつ明るく強く生きる力を与えて下さるという一つの日の神と申されましょう。従って皇祖の大神として奉祀され我国最高の貴神と仰がれます神にまします。
須賀神社。福寿稲荷神社。魁稲荷神社。粟島神社。琴平神社。富士浅間神社。恵比須神社。市姫神社。愛宕神社。小御嶽神社。松尾神社。
現在の御本殿は明治十二年三月の地鎮祭に始り同十六年十月に竣工五年有余の年月をついやし総欅素木を以てし伊勢内宮にならい神明造銅板葺なり。
現在の拝殿は、中教院として全国的に展開された皇道宣布の強力な教化の施設として建立。必要に運営されていたるも明治十五年一月内務省が神官の教導職兼務解除のため、中教院も閉鎖。廃院の元中教院を受入れ社殿として補修を加へ神明宮社殿として荘厳かつ壮麗なる再建を見現在に至る。
境内には旧中教院興学碑壱基。琴平宮奉献の石燈籠(亀田鵬斉揮毫)壱基。神明宮神輿並に氏子山車収納庫壱棟。隣接南側は皇太子殿下御慶事記念として設置せる記念公園栃木市第二公園あり。